日記 2019-03

目次


2019-03-02

言葉を獲得する

こういうときはありませんか。何かを言いたいのに、自分が何を言いたいのかよく分からない、という感覚。もう喉まで言葉は出かかっているのに、それを言葉にできない。喉が苦しいような、そんな感じ。

言葉を獲得する。

言葉はいつ使えるようになるのでしょうか。幼稚園か小学生か、言葉は幼児期に獲得するものだ。何の疑いもなくそう思っていました。正確には、当たり前過ぎて考えたこともありませんでした。

でも、大学生になって、そうですね、大学3年生でしょうか。その年齢になって初めて、私は自分の言葉が喋れるようになったと思います。それまでは"自分語"でものを考えていたように思います。"自分語"というのはイメージのようなものです。うまく説明できないのですが。

ブラジル人の知人からこんな話を聞いたことがあります。ある男の子の双子がいました。幼児期に彼らは二人だけの言葉を使っていました。お母さんと離すときは共通語(ポルトガル語)を話すけれど、二人だけで話すときは独自の言葉、お母さんには意味がわからない言葉で話して、二人でくすくす笑っていました。これは興味深いですね。

"自分語"というのはそんな感じです。私は、共通語(日本語)ではなくて自分にしか理解できない方法でものを考えています。だから今でも自分の考えを言葉にするのは苦労します。頭の中にイメージがあって、それを共通語に置き換えていくような感じです。

話を戻します。私はあるときまで自分語を共通語に変換できませんでした。一部しか言葉に出来ていなかったように思います。自分の考えがあってもそれを言葉にできてなかった。でも、そのことにすら気づいてすらいませんでした。初めてメガネを掛けたときと同じです。メガネを掛けて初めて、自分が見えていなかったことに気づく。そういう感じです。話せるようになって初めて、話せていなかったことに気づく。

たくさんの本を読んで、たくさんの人の話を聞いて、共感して、違和感を感じて、それで自分の考えが見えてきた。自分の考えを言葉で表せるようになった。それは快感です。

すぐキレるのは自分の気持ちを表現する適切な言葉を知らないから。 たくさんの本を読んで言葉を知ればストレスは溜まらない。

美輪明宏

自分の思いを言葉に出来ないと、知らない間にストレスが溜まっていくのかもしれませんね。

言葉を獲得する過程

すぐにできるようになったわけではありません。少しずつ、言葉を獲得していきました。

大学3年生の終わり、私は日記を書き始めました。「自分の中にあふれそうな考えを言葉にしたい。次々と言葉(共通語)に変換される思いを、いったん頭から外に出したい」そういう思いからです。でも、最初は何を書けば良いのか分からなかった。当時の日記にもそう書いてあります。何か書きたいのに何を書いて良いのかわからない、と。

書く理由

日記を書き始めてもう一年が経ちます。だいぶかけるようになりました。でも、まだ苦しい。私の中の思いたちが、「言葉にしてくれ」と語りかけてくる。私は必要に迫られて書いています。書かないと頭が爆発しそうなのです。次々に考えが湧いてきてパニックになりそうなのです。だから書いています。書くことによって自分の外に出そうとしてる。思いついたアイデアを頭から追い出してしまいたい。そのために記録しているんです。記録していれば忘れることができるから。多くの人は忘れないために書き留めるかもしれません。でも私は忘れるために書いています。脳の記憶機能を外部に委託しているんです。そして頭の中を平和に保つ。それが私の書く理由です。必要だからやる、という感じです。

一生続く

最近は以前よりも自分の思いを言葉にできるようになりました。でも、それでも、言い尽くせない、書き尽くせない。話せば話すほど、書けば書くほど、新しいアイデア、新しい思いが湧いてくる。エンドレス。イメージは、そうですね、湧き水です。水をすくえばすくうほど、湧き出してくる。正直、苦しいです。アイデアが湧いてこなくて苦労する人もいるかもしれませんが、アイデアが多すぎると逆に苦痛です。

たとえばこういう苦労があります。好奇心が強いがゆえの苦労。私は暮らしていると次々に疑問が湧いてくる。「何でこうなっているの」「由来はなんだろう」とか。調べずにはいられない。結果として雑学が増えて人との話には困らないし、知識が多いと何かと役に立つ。けれども、良いことばかりではありません。次々に疑問が湧いてきて、調べる。その都度調べてあげないと、私の中の好奇心が黙っていないのです。疑問を放置して溜めていると、パニックになります。洗濯物を洗わずに溜め込んでいる、ゴミ箱があふれそうになっている、そういう感じです。だから私は気になったことはその都度調べます。好奇心を満たしてあげるのです。これはそうじと一緒です。頭の中のそうじ。疑問を一つ一つ解決することで心の平和を保っているのです。

どんなに思いを形にしても、形にならない思いが湧いてくる。言葉を完全に獲得する日など一生来ないでしょう。いつも言葉にならない思いを抱えている。喉のあたりが苦しい。うまく息ができないような、そんな感じです。そういう苦しさを何度も経験して、言葉を言葉を獲得していくのかもしれません。

日本語の文法と語彙を学べば言葉を話せるようになる、というのは浅い理解だったようです。事はそんなに単純ではありません。自分の思いのうち、言葉にできるものはごくわずかであり、ほとんどが、"イメージでしか捉えられないような思い"です。

でも、なんとかして言葉にしていきたい。自分が爆発してしまわないように。外に出してやりたいんです。話すことは離すこと。どうすれば、掴みどころのない思いに形を与えてやれるだろうか。


2019-03-10

何のために生きるか

人生について深刻に考えるのは馬鹿げていると思います。生きる意味とはなにか、何のために生きるのか。そんな問いはくだらない。だって何の役にも立たないじゃないですか。目の前の生活とあまりにかけ離れている。考えても仕方ない。

でも。ええ、認めます。結局のところ、私はその問いから逃げられないでしょう。「私は何のために生きるのか」。その、面倒で、陰気臭い、その問いにいつかは答えないといけない。そんな気がしています。

今からカッコつけたことを言います。こんなことを書くのは自分でも恥ずかしいと思ってる。生きる意味?人生の目的?そんなのは哲学者に任せておけばいい。でも、それでも書きます。今日はとにかく語りたいんです、人生の目的について。あとで読み返して、恥ずかしかったらそのとき削除すればいい。とにかく進めます。

私は、これまでの幸運に報いるために生きます。それが今の答えです。

私はこれまですごく恵まれていたと思います。家庭にも、才能にも、生まれた時代にも、受けてきた教育にも。もちろん苦労もあったけど、でも恵まれていた。

私は責任を感じているんです。「恵まれていた分、あなたは他の人よりも多くの責任を負わなければならない」私の中の"誰か"がそう言っています。他の人よりも難しい仕事をやらなければならない、他の人よりも辛抱しなければならない、未来の見えない状況の中で重要な決断をしなければならない。そんな局面に何度も出くわすでしょう。でもそれは当然です。

Pay It Forwardという言葉を聞いたことがありますか。これは「ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいくこと」という意味です。私は、受けてきた恩、祖父母や両親、教師やそのほか数え切れないほどの人々から受けてきた恩を、彼らに直接返すことはできません。二人の祖母はすでに亡くなったし、祖父も両親もその他の人々も(おそらくは)私より先に死ぬでしょうから。だから私は、これまで受けてきた恩を別の人に送りたいのです。これはバトンです。私がこれまで受け取ってきたバトンを、今度は私が次に渡すときなのだと思います。

私は時代の中に生きています。"私"という個人の存在を超えている。伝わるでしょうか。私は時々こんなふうに感じます。自分自身が透明になったような感覚です。自分の中を時代という風が吹き抜けている。自分の見栄とか欲とかそんなことはどうでもよくなって、ただ受け取ったバトンを次に渡すために走っている。無我の境地とでも言うようなそんな感じ。

そんなふうに人生について語るのは偽善的でしょうか。口先だけでしょうか。私自身、そう思っていました。「社会的責任を果たすために生きる」なんて、いかにも軽薄な感じがするから。でも、この数年間、自分自身を観察してきて確信しました。これまで受けてきた恩に報いることが私の生きる目的なのだ、と。もしかしたら将来変わるかも。でも少なくとも今は、そんなふうに感じているんです。

どうすれば恩を返せるのでしょうか。どうすれば責任を果たせるのでしょうか。正直に言って分かりません。でも掴みかけています。自分の才能を伸ばすこと、才能を発揮すること、周りに対して思いやりを持つこと、欲にとらわれないこと、他者を受け入れること。その先に道があるような気がしています。

私たちは地図も道標もないまま歩いていかなければなりません。手探りで進むしかない。曲がり角では決断しなければならない。一度選んだら後戻りはできません。皆が不安です。でも羅針盤があれば、自信をもって選択できるかもしれません。羅針盤とはすなわち、人生の意味です。あなたは何のために生きるのか、人生で何を成し遂げたいのか、その答えです。

ご覧の通り、私の羅針盤は自慢できたもんじゃありません。「幸運に報いる?一体どうすんのさ?」と自分で突っ込みたい。でも、これが第一歩なのだと思います。これから経験を積み、人生の喜びを知るほどに、辛酸を嘗めるほどに、羅針盤ははっきりしてくる。揺るぎないものになるはずです。

本当はこんな説教じみた文章を書くのは好きではありません。でもなぜ書いたかというと、私の中の"誰か"が「書け」と言ったからです。時々、自分の中にいくつもの別の主体がいるように感じます。

10年後に私がこの文章を読み返したとして、どう感じるのでしょうか。青臭いと思うでしょうか。感動するでしょうか。分かりません。でも一生懸命考えて書いたのは確かです。将来の自分に笑われようとかまいません。私は自分が信じる道を行きます。


2019-03-11

文章を読むのは、海に潜るのに似ている

今日は文体について、私が普段感じていることを書きます。

あなたは「ある文章を読むかどうか」をどうやって決めていますか。

タイトルを読んだ、あらすじを読んだ、自分の関心にヒットしている。それで本を開いた、Web記事のリンクをクリックした。文章を読み始めた。そのとき「読み進めるかどうか」をどのような基準で決めていますか。

私は文体で決めています。文体が私に合うかどうか。内容がスラスラと頭に入ってくるか。「文体って何を指しているの」と言われてもうまく説明できません。だから、たとえ話をします。

文章を読むのは海に潜るのに似ています。

文体が自分とぴったりと合っているときは、深く深く海に潜ってく感じがするんです。周りの雑音が消えていって、しんとしていく。集中力が高まって、感覚が研ぎ澄まされていく。文章に引き込まれて戻れなくなる。そんな感じです。

逆に、文体が合っていないときは、潜っていくことができません。気が散って、内容が頭に入ってこない。いつまで経っても水面でバタついているだけです。よく分からないから、ページを進めて"理解できるところ"をなんとか探そうとするけれど、全然だめ。そんな感じです。

話し言葉であればこのようなことは起こりません。問題なく話を理解できる。けれども、書き言葉では、内容が頭に入ってこないことのほうが多いです。割合でいうと7:3くらいでしょうか。

皆こんなふうに感じているのでしょうか。気になります。あなたはどのような基準で「文章を読み進めるか」決めてますか。


2019-03-19

武器を手放す勇気

今日、ミサイル開発についてのニュースを読みました。

防衛省が長距離巡航ミサイルを初開発へ
2019年3月17日 19時46分 共同通信
防衛省は、戦闘機に搭載して敵の射程圏外から艦艇を攻撃できる長距離巡航ミサイルを初めて開発する方針を固めた。政府筋が17日、明らかにした。中国軍の能力向上などを踏まえ、抑止力強化を目指す。

私は日本のミサイル開発に反対です。

相手がこぶしを握っているからと言って、こちらもこぶしを握ってよいことにはなりません。それでは問題は悪化するばかりです。

私も以前は「やっぱり核兵器や抑止力は必要なのかな」と思っていました。 でも、ある演説を読んで目が覚めました。2017年にノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の、ベアトリス・フィン事務局長の演説です。

ICANノーベル平和賞受賞講演の日本語訳 | 国際交流NGOピースボート

抑止力という発想がすでに狂っていると思います。想像してください。核兵器がこの世から消えた未来を。その時代の人が現代にやって来たらどう思うでしょうか。異常だと思うのではないでしょうか。ちょうど私たちがナチスのホロコーストを狂っていると感じるように。

核を持ち続けるのは理性的な選択ではありません。もちろん抑止力も。私たちは武器を手放す勇気をもつべきです。

相手国よりも先に武器を捨てるのは勇気がいります。政府にはそんな選択はできません。だから世界の人々が草の根運動をするしかない。戦争反対、核兵器反対の人を増やす。時間はかかる。でも方法はそれしかないと思います。

いつか平和になったら武器を捨てる。そんな考えではいつまで経っても平和は訪れません。

あなたがたの多くにも、似たような話があるはずです。「誰かが起こすであろう”ある変化”」があって、そのことが自分には明確に見えているという感じが。しかし「誰か」がやるんじゃないんです。”あなたが”やるんです。

マーク・ザッカーバーグ

引用ザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチが感動的だったので日本語訳した。

核兵器廃絶。今の時代に私たちがやるんです。勇気を出しましょう。私はベアトリス・フィン事務局長の言葉を読んで勇気をもらいました。今、核兵器を捨てるのは馬鹿げた選択ではありません。むしろ、理性的な判断だと思います。

私は核兵器に反対します。私は抑止力に反対します。私は日本のミサイル開発に反対します。私は核兵器を廃絶できると信じています。


2019-03-21

詩「鼻歌を歌うように書く」

鼻歌を歌うように書く。

書きたいときに、書きたいことを

ここは私だけの場所

思いついたことを残していくの

本を読んで、話を聞いて、何かを見て

新しい自分を見つけるために、書く

思考を記録しよう

私は何が気になるの?同じことばかりが頭をよぎる。なぜ?

頭を空にするために、忘れるために書く

誰のために?自分のためでもいいじゃない

楽しく、自由に、鼻歌を歌うように書きたいの


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