日記 2019-04

目次


2019-04-04

人生の選択について

私は今就職活動をしています。その中で、最近よく思うことがあります。それは"主導権を手放さない"ということです。

就職活動をしていると、自分の将来を考えるのが面倒になってきます。「最初に内定をくれた会社に行こうっと」「面接官がいい人そうだったからこの会社でいいや」すぐに流されそうになります。

そんなとき、心の中の私がすかさず問いかけてきます。「でも、これで本当にいいのかしら」と。

良いわけありません。だってこれは私の人生の問題です。適当にやって終わり、そんなふうに済ませて良い訳ないじゃないですか。

それで考え直すわけです。「私は何がやりたいんだろう」「譲れないことは何かな」・・・。正直に言って面倒くさいです。答えなんか簡単に出てこないし、考えるほどに迷います。「私はそんなに立派な人間じゃないし」「やりたいことなんて知るか」そう愚痴りたい。

けど、地道に考えます。考えるだけじゃどうしようもないので、会社の就活イベントに言って社員さんのお話を聞いたりしながら。真面目に考える。そうすると自分の意志が少しずつ見えてきます。「こういうことやってみたいな」「この会社のこういうところが良いな」とか。

ここが重要です。「内定がもらそうだからその会社にする」という消極的な態度ではなくて、「私はこれをしたいから。ここが好きだから。だから入りたい」そういう気持ちが先だと思うのです。つまり、自分の意志。

もちろん、消極的な態度、なんとなく生きること悪いことじゃありません。

むしろ、人生なんてもともとそういうものです。頼んだわけでもないのに私たちはこの世に生まれて、それで死ぬまで苦楽を味わうことになっている。義務教育を受けさせられて、一応大学も出て、そしたら今度はご飯を食べていくために働かねばならない。そうこうしているうちに退職。老後はお金の心配をしながら死ぬまで暮らしていく。

たまに思うのですけれど、人生で私たちが選べることってごくわずかしかないような気がします。両親も学校も才能も、多くは最初から決まっていて私たちが選ぶ余地はそんなにないのでは?

でも、その”ごくわずかの選択肢”を選ぶことが大切なのです。真剣に悩んで選び取る。「なんでもいいや」じゃない。選択の主導権を最後まで持ち続ける。

就職活動で会社が私を選んでくれなければ私は入社できません。でも私は受ける会社を選べます。別の会社でもいのです。結婚で相手が私を選んでくれなければ、私は結婚できません。でも、私もその人と結婚するかを選べます。別の人を選んだっていいのです。

そこには意思があります。「私はこうしたい。こんなふうになりたい」それが大切なのです。

なぜ大切なのか。それは後悔しないためです。

もしなんとなく生きてきたとしたら、晩年になって自己嫌悪に陥りそうです。「私はなんとなく生きてきた。ああ、私の人生は何も意味がなかったのだ。あの人達は自分らしく生きてきたのに、それに比べて私はなんてダメダメなんだ」と。

でも、もし節目節目で真剣に悩んできたなら、結果が思うようなものではなかったとしても、前に進めます。過去に最善を尽くしたからこそ、選んだ道を受け入れ、次に向かって努力できます。

だから、最後まで主導権を手放さないでほしい。私たちが選べることは限られているかもしれないけど、でもその選択権を放棄しないでほしい。「私が選ぶんだ」そういう意思を持ってほしい。選ぶということを選ぶ。それがすべての始まりです。運命に任せるのは最後の最後。それまで主導権を手放さない。

いいですか、あなたは選べます。

Where there is a will, there is a way. 意思あるところに道はある。


2019-04-05

兄はバナナが好き

私には兄がいます。一年前に就職して、今は東京で一人暮らし。彼がなかなか面白い人なのです。まあ、私の家族はみんな面白いですが。

兄はバナナが好きです。その話をしましょう。これは兄が就職する前、実家にいた頃の話です。

彼はバナナを食べながら、よく私に講釈を垂れていました。

「あのね、良ちゃん。バナナのこの黒いポツポツはね、シュガースポットっち言うんよ。バナナはこのスポットが出てくるときが一番おいしいんよ」とかなんとか。

彼は大変なバナナ好きだったので、母が一房買ってきても数日で食べきっていました。シュガースポットが出る前に。

だから、あるとき、私は兄に言ったんです。

「あのさ、兄ちゃんは『バナナはシュガースポットが出たら食べごろ』っち言うけどさ、スポットが出るまで待てた試し、ないやん」と。

「うるせー」と一蹴されました。顔を真っ赤にして。

かわいかったですね。今でも黒くなりかけたバナナを見ると、兄を思い出して笑ってしまいます。次に兄に会えるのは多分、お盆。そのときは、バナナケーキでも作ってあげましょうか。


2019-04-06

片付けの心がけ

大切なこと

部屋を片付ける=頭の中を片付ける


2019-04-12

新しいことを始めるときに

何かを始めるのは怖いもの

何かを始めたいのに勇気が出なくて行動に移せない、ということがあります。新しいことを勉強してみたい。新しい習慣を取り入れてみたい。誰かを巻き込んでやってみたい。たくさん情報を集めているし、やっている姿を何度も想像した。だけど、一歩踏み出せない。

こんなときどうすればいいのでしょうか。一般的にこういう意見があります。

「とにかくやってみろ」。できるかどうか、好きかどうか、続くかどうか、それは分からないがとにかくやってみろ。

人によってはこのアドバイスが有効かもしれません。でも、私には合わない。「とにかくやってみろ」では動き出せないんです。なぜ動き出せないかというと、怖いから。新しいことを始めるんだから怖いと思うのは当然です。始める前に、心の準備のための期間が必要なのです。

前につんのめるイメージ

私は「前につんのめるイメージ」をもっています。前傾姿勢のことです。上半身はもう前に出ている状態。いきなり一歩を踏み出すのではなく、上半身だけ前に倒れていく。そうすると反射的に一歩を踏み出せます。

何かを始めるときも同じです。まだ行動する勇気はない。だけど「やりたい、やりたい」その気持ちを持ち続ける。その思いに耐えきれなくなって、ある瞬間に自然と始められます。

この方法は、無理がないところが好きです。何かを始めるときに勇気を出す必要がない。私は気合や根性で乗り切るのが苦手なんです。無理なく自然に進めていきたい。

羽生善治さんの「直感力」という本の中に私の好きな言葉があります。

目標は一気に課してはいけない。少しずつ積み重ねることによって、気がつけば着実に前進している。自然にできることを続けていくという健全さが必要なのだ。

まさに、それが健全なやり方だと思います。

もちろん、「やりたい」という思いを抱え続けるのはしんどい。中腰の姿勢を保つようなしんどさがあります。でもそれに耐えかねて、自然に一歩を踏み出すのが狙いなんです。

行動に移さずに済む、というメリットもあります。やりたいという思いを持ち続けていても、結局一歩踏み出せないときもあるでしょう。でもそれは良いんです。多分、そんなにやりたいことではなかったのだと思います。もし無理に始めていたとしても続かなかったでしょう。そのようなことに手を出さずに済んだ、と言えます。

まとめ

季節は春。新しいことを始めてみたい時期です。この考え方を試してみてはいかがでしょうか。


2019-04-16

創造性には「時間の贅沢」が必要

心の余裕が創造性を生む

一般的に、「文章を書きたいなら、書くための時間さえあればいい」と思われている。 でも実際はそれだけでは足りない。少なくとも私の場合は。

創作は高次元の欲求だからだ。マズローの欲求階層説がある。「人間は基本的な欲求から高い階層の欲求に向かう」という考え方だ。人間は優先順位が高い項目から手を付けていく。睡眠、食事、快適な環境。それらが満たされてはじめて創作に向かう。

だから創造性を発揮するには時間の贅沢が必要だ。お昼寝、おいしいごはん、温かい部屋、友達とのおしゃべり、テレビ、音楽。心の余裕が創造性を生む。

もちろん極限状態でも人は書ける。だけど、私は好きじゃない。ギリギリの状況で書いた文章はたいてい病んでいるから。殻に閉じこもったり、運命を嘆いたり、怒りを吐き散らしたり。

そういう文章が悪いわけじゃない。でも私は健康的な文章を書いていたい。頑張るあなたににエールを送りたい。ユーモアであなたを笑わせたい。落ち込むこともあるけれど、私は物事の明るい面を見ていたいんだ。

心の栄養

「ペンを動かす時間、キーボードを叩く時間さえあれば書ける」という人は大切な過程を見逃している。重要なのは創作の前、アイデアが生まれる段階だ。

あなたの心に栄養をやってほしい。たっぷり眠ろう。落ち着いて食事を取ろう。誰かとくだらないおしゃべりをして、テレビを見て大笑い。天気がいい日は走りに行こう。恋人とデートをするのもいい。好きなだけ本を読もう。音楽を聞くのも好き。

自分に贅沢を許してやってほしい。そうして心に余裕ができたら、今度は自分が何かを生み出したくなる。創造性はそこから生まれるのだ。


2019-04-16

どうして、自分の嫌いなものについて話さなきゃいけないのかね?

好きと嫌いの話をしよう。おととい読んだ本の一文が印象に残っている。

「どうして作品をもっと批判しないんですか?」と訊いた。教授はこう答えたという。「自分の嫌いなものについて、どうしてわざわざ話さなきゃいけないのかね?」

引用:ナタリー・ゴールドバーグ作「クリエイティブ・ライティング」p231 サムライ

私もそういう気分だ。新聞の批判的な社説や批判ツイートを見るたびにそう思う。 腹を立てている人に対しては感動すら覚える。一体あのエネルギーはどこから湧いてくるんだろう。私はめったに腹を立てない。なんで私がそんな感情に支配されないといけないんだ。そういう気分。だから私はあんまり批判もしないし、悪口も言わない。面倒くさいから。

YouTubeでgoodかbadの評価をつける機能があるけど、あれでbadを付ける人の気持ちがわからない。普通の音楽演奏とかで、だよ。下品な動画とかじゃなくて、歌を歌う動画とか楽器演奏とか。よく分からない。押し間違いなのかな。私は「いいね」しかつけない。興味がなかったら次の曲に直行するだけ。

批判してる暇なんかない。つまんなくなったら次の作品を探しに行くだけだし。つまんない本は途中でも読むのをやめる。はい次、はい次。どんどん面白い本を探しに行く。生きている時間は限られているから。「これはつまなかった」なんて言ってる場合じゃない。本を読んで感動したいし、面白いツイートで笑わせてほしい。批判に時間を取られている暇なんてない。人生は一度きりだ。こうしている間にも時間はどんどん過ぎ去っていく。そうだろう。

と、ここまできて、なぜ私がわざわざこんな文章を書いているのか、考えてみた。多分、自分に対する警告なんだと思う。 私にしかできない仕事を見つけてほしいから、それに力を尽くしてほしいから。別にTwitterをだらだら見てもいい、本を読みまくってもいい。でも、私にしかできないこともあるはずだ。その今まで感動したことの中に、夢中になって調べたことの中に、その中に"私の使命"がきっとある。私自身に自分の使命を突きつけているんだ。

批判するのに時間を使わないように警告しているんだ。人のことを批判している時間なんてない。人生は一度きりだ。そんな暇はない。私だけの仕事、私にしかできないことをやってみたい。はじめは小さなところから。ここから始めよう。理想と現実のギャップに落ち込んでも、それでもここから始めたい。少しずつ遠くへ手を伸ばす。あれもやりたい。これもやりたい。他のだれも書いていないことを書きたい。他の誰も気づいていないことを拾ってあげたい。料理のなかに自分の世界を作り出したい。素晴らしい本に、美しい自然に、素敵な人に感動していたいんだ。


2019-04-19

自然に従う

「日記に書くことがない」って言っている人の気持ちがよく分からない。書きたいことは山ほどあります。いつも書きたい気持ちでいっぱい。

あとは、行動に移す気力があるかどうかの問題。自分の中に書きたい気持ちがあふれてどうしようもなくなったときに書く、という感じですな。必要だからやる。私はそれが好きだけどね。

物理法則。引力のイメージ。物が下に向かって、地球の中心に向かって落ちていく。水が高い方から低い方へ流れていく。空気は気圧の高いところから低い方にに流れていく。とかね。自然な流れで動いていたいのよ。天気がいい日、気圧が安定しているときは元気を出して働く。低気圧のときは休む。日が出たら働き、沈んだら眠る。疲れたら休み、元気なときは働く。働いたらご飯を食べて、また働く。それが素敵じゃないか。


過去の日記