ここ2週間、体調が良くない。
午前2時ごろに目が覚める。身体はなんとなくだるい。食欲は日によって、全然なかったり、急に食べたくなったり。
自分の身体を自分でコントロール出来ないのはつらい。言うことを聞かない馬に乗っている気分。
でも、それでもやるしかない。
完璧な条件でやれる日なんてないから。
いつだって満身創痍だ。
オリンピック選手だって怪我だらけで戦ってる。
与えられた条件のなかで最善を尽くすしかない。
そうだろう。
ふざけた話の中にも教訓はあるし、まじめな話の中にもユーモアがあるはずよ。だから、凝り固まらないでいたの。いつでも違った視点から物ごとを見ていたいのよ。
悪いことが永遠に続くわけはないよ。止まない雨はない。冬のあとには春がくるじゃないか。たとえ少しずつであっても変わっていくものさ。
相手が無礼だからといって、こちらが相手を軽んじてよいことにはならない。誰であれ敬意を持って接する。難しいけど大切なこと。
しゃべるだけがコミュニケーションではない。無理に会話を続けなくても良い。心地よい沈黙はある。
毎日を楽しみながら生きる人もいるし、苦しみながら生きる人もいる。どちらもありだと思う。「こうした方が絶対に良いのに」なんて言えない。どんなアドバイスをもらっても、結局のところ、人は自分のやり方しかできないから。みんな、一生懸命、生きている。
noteやTwitterでフォローしている人に女性が多いことに気がついたので、理由を考えてみた。全員、私より年上。お子さんがいる人が多い。
多分、彼女たちは私の理想なんだ。夫を愛し、子どもをかわいがる。「世の中を変えたい」「良い仕事をしたい」という想いをもって仕事をする。落ち込むこともあるけれど、まっすぐ前を向いて歩いていく。
いつか、私も、そうなる。
大学一年生のとき、物知りの先輩がいた。私が「先輩は何でも知っていてすごいですね」と言うと、彼は言った。「経験が僕の強みなら、あなたの強みは何も知らないことだ。知りすぎていると、かえって動けなくなるものだよ」
そのときから、「何を知るべきでないのか」を考えてきた。
知識は世界を救うのか。知識は幸福をもたらすのか。
永遠について考えるとき、いつもある作家の言葉を思い出す。
現在という時間は永遠に触れている
意味は分からないのだけれど、なぜか大切な気がしてならない。
1冊の「おもしろい」に出会うために、10冊の「つまんなかった」を掻き分ける。それでも探し続けるのは、最高の一冊に出会ったときの感動を味わいたいから。
野球選手がバットを振り続けられるのは、ヒットを打ったときの快感が忘れられないからだろうなあ。
大学のレポートと発表で役に立った本を紹介します。
感覚に頼らず、理詰めでデザインを考えられるようになります。
まずは下記のサイトを見てください。
「あなたは若者だから」「女性だから」「日本人だから」・・・
そんなふうに決めつけないで。
"私"という1人の人間を見てほしいの。
第二次世界大戦、ホロコースト、共産主義、文化大革命、天安門事件・・・。
これほどひどいことが起きたのは、わずか70年前、30年前。信じられない。狂気はすぐそこにある。
殺し合いを知るにつけ、絶望してしまう。平和なんて仮りそめじゃないか、人権なんて幻じゃないか、と。
今だって課題は山積みだ。宗教対立、テロ、核兵器、地球温暖化、格差。
はたして、私は世界を変えられるのだろうか。
いや、これは「できる、できない」の問題ではない。
世界を変えられると「信じるか、信じないか」。それが問題だ。
世界は変えられない、と思えば何も変えられない。
世界を変えられる、と思えば道が見つかる。平和の第一歩は平和を信じることだ。
私は世界を変えられる。そう信じている。
お金の使い方にはその人の価値観が表れる。隠しようもない。価値観そのものだ。私は何にお金を使うのか。
「これが人生の目的です」って言えたら、楽なのに。迷わなくて済むから。お金の使い方も、時間の使い方も、小さな判断も。 でも、そうは問屋が卸さない。毎日悩みながら生きる。もしかしたら、一生探し続けるのかも。
それでいいのか。それでいいんだ。
一つの仮説。愛情を受け取ってきた人ほど、人に優しくできる。人はもらってきたものを与える。
素敵な本や映画、音楽、そして人との出会いが、私の進む先を1mmずつ変えていく。
人は無条件の愛を必要としている。頑張ったから愛されるのではない。愛されるから頑張れるのだ。
過去を振り返って、「あの時こうしていれば、無駄なくここまで来れたのに」と後悔する。でも、当時の自分はどこに進むべきか分からないまま、選ぶしかなかった。暗闇の中を手探りで歩いてきた。今の私はスタートもゴールも分かっているから最短距離か見える。でも暗闇の中で最短ルートなど選べるわけはない。
自分が変わるのは難しいけれど、他人を変えるのはもっと難しい。親でも兄弟でも、友達でも。結局のところ、私にできるのはその人の健康と未来を祈ることだけかもしれない。
人生って死んだら終わり、なんでしょうか。そうではない気がします。
日常のなかで、ふとしたときに「この瞬間は永遠なんだ」と感じることはありませんか。
たとえば。
そんなとき、私はいつもとは別の時間を生きています。
私は長い歴史のなかに生きています。生と死で断絶された一切れの人生ではありません。生まれる前の過去とも、死んだ後の未来ともつながっています。
だれかに夢や感動を与える人がいます。
料理人の湯木貞一先生は、24歳のときに松平不昧の『茶会記』を読み、茶道の世界に感動して懐石料理の道に入りました。
凄いことです。松平不昧がいなければ料亭・吉兆もなかったでしょう。松平の志は、死後100年以上経って、湯木貞一先生に受け継がれました。そして今度は湯木貞一先生が私に感動を与えています。私が生まれた翌年に先生は亡くなったけれど、著作を通してその志は私の心に生き続けています。
生き方は連鎖します。ある人の情熱が他の人を動かす。生き様は不滅です。
誰もが感動を求めています。記憶に残る一瞬を探しています。愛情、音楽、アイドル、漫画、小説、スポーツ、ゲーム、旅行、パズル、芸術。
それは、没頭した瞬間に「永遠」につながるからではないでしょうか。過去から感動を受け取り、今度は未来に渡す。その瞬間、自分という存在を超えて偉大な時間に触れる。
先人の素晴らしい仕事を見るにつけ、彼らに迫られているような気がします。「お前は人生で何を成すのか」と。 私は何を残せるのでしょう。
こんなことを家族や友人に話したら笑われそうです。でもいつも考えています。
軽々しく批判を口にしないほうが良いと思います。
「Aさんが嫌い」というとき、私はAさんの評判を傷つけると同時に、自分の評判も傷つけているからです。
悪口を聞いた人は「湯木さんは陰口を叩く人なんだ」と思うでしょう。それが積み重なると、人々は私に心を開いてくれなくなります。陰で批判する人は信用できないからです。「私も湯木さんに陰口を言われるのではないか」そう考えたら大事な話はできません。当然です。
だから批判は慎重に扱うべきだと思います。
批判は、ここぞというときに抜く"伝家の宝刀"です。 自分の主義を守るため、大切な人を守るため。
めったに使わないからこそ周りに与える印象も大きいでしょう。「私はこれを大事にしている」という意思をはっきりと表明できます。
だからこそ、どうでもいいことで批判をしないで、"ここぞ"というときのために取っておくべきです。
私は大学生で寮に入ってから、会話がうまくなりました。でも「コツはなんですか」と聞かれたら困ってしまいます。
具体的で分かりやすいテクニックだけでは、会話は上手くいかないからです。 それよりも重要なことがあります。
それは「相手への尊敬」です。 「あなたのことを理解したい」という態度。「あなたのことを受け入れます」という姿勢。
会話は人間関係そのものです。相手をどう扱うか、が如実に現れます。
誰もが「私のことを理解してほしい」と思っています。
私だってそうです。私が今日駅で何に笑ったか、Perfumeの新曲のどこに感動したか、渾身のダジャレ。
でも、ここは一旦ぐっとこらえて、まずは相手の話を聞きます。
相手の信用を勝ち得たら、私の番がくるからです。相手も私の話に耳を傾けてくれるようになります。そのときに思う存分話せばいいでしょう。
「相手が私の話を聞いてくれないから、だから私も相手の話を聞かない」 そのような"待ちの姿勢"の人がいます。
それが悪いわけではありませんが、それではいつまで経っても信頼関係は築けません。
良い仕事をするには信頼関係が必要ですし、関係を築くには多少の我慢が必要です。 最初に自分から相手に譲る。それが鍵です。
会話は「人との関係を作る行為」だと思います。だから少しの我慢が必要です。
もし何も我慢することなく好きなだけしゃべりたいのなら、一人で話せばいいでしょう。実際、私はそうしています。散歩しながらしゃべりますし、お風呂に入りながらしゃべります。日記に書き綴ることもあります。そのとき私は完全に自由です。
でも会話は違います。会話は相手と作り上げていくものです。そこでは何よりも「相手のへの尊敬」が大切だと思います。
[Official Music Video] Perfume 「Future Pop」 - YouTube
曲の雰囲気にぴったり。曲がサビに向けて盛り上がっていくにつれて、塔と高速道路が組み上がっていきます。
かしゆかと、のっちのソロの映像も未来的でワクワクします。ああ、こんな未来が来てほしいなあ。
3人が空中に浮かんでいるところがすごい。地面に足をつけていないような姿勢のシーンがあります。一体どんなふうに撮ったのでしょう。
[Official Music Video] Perfume「ワンルーム・ディスコ」 - YouTube
後ろの6つのボックスの演出が素晴らしい。さまざまな仕掛けがあるので最後まで飽きません。
極めつけは、4:30の3人のダンス。この3人の笑顔と、あーちゃんのウインクは何度見ても感動してしまいます。
[Official Music Video] Perfume「ナチュラルに恋して」 - YouTube
衣装がかわいい。セットも素敵。
Perfumeといえば最先端の技術をつかった演出や、派手な衣装が多いですが、こんなナチュラルな雰囲気のPerfumeも大好きです。
素晴らしい本に出会うのは無上の幸せです。私が生きる理由の一つは、素晴らしい本に出会いたいからです。世界にまだ読んだことのない面白い本があるというだけで、わくわくしませんか。嫌なことがあっても、どうせ死ぬと分かっていても、それでも本を読むために長生きしたいです。
私は人の気持ちがよく分かりません。私にとって人間はブラックボックスです。頭のなかで何が起きているのかよく分かりません。
「なぜ先生はあのことで怒ったのだろう」「なぜあの子はひどいことを言うのだろう」分からないことだらけでした。
相手が求めているものがよく分からなかったので、会話はぎこちなかったです。自分の気持ちをはっきり言ってくれない人と、トラブルが起きたこともあります。
でも、今はいろんな工夫をして、人と信頼関係を築けるようになりました。(私が実践しているコツは、noteの「他人と付き合う」というマガジンにまとめていきます。)
それでも人の気持ちは相変わらずよく分かりません。「人はどんなふうに世界を見ているんだろう」といつも考えています。
ところで私は本を読むのが好きです。それは多分、人間というブラックボックスの中身を知りたいからだと思います。
本を読むとき、私は主人公の人生を擬似的に体験できます。
私は今日「ぼくには数字が風景に見える」という本を読み終えました。この本の作者はDaniel Tammetというイギリス人の男性です。彼はサヴァン症候群、自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群を抱えています。彼は数字や言語の分野で優れた能力をもっており、円周率の暗記でヨーロッパにおける新記録を打ち立てました。
私は本を読みながら、彼の26年間の人生をたどります。幼少期を大家族とともに過ごし、数字を愛し、リトアニアで英語を教えました。様々な言語を習得し、生涯の伴侶ニールと出会い、πを暗唱しました。
これは素晴らしい体験でした。
人と話すときも同じような体験ができますが、私が直接話せるのは私の周りにいる人だけです。本ならば、世界中の人々の人生を体験できるし、過去にも未来にも行けます。そこが素晴らしい。だから私は、海外の小説や昔の小説を選ぶことが多いようです。
「ツバメ号とアマゾン号」を読むとき、私は小型帆船を操縦して、島を探検します。
「シャーロック・ホームズ」を読むとき、私はワトソンになってホームズと一緒に怪事件に取り組みます。
「目の見えない人は世界をどう見ているか」を読むとき、私は目が見えなくなって、地面の感覚を頼りに街を歩きます。
もちろん、本を読んだからといって人間を理解できるわけではありません。でも、人間に対してもっと興味が湧きました。今、隣りにいるこの人はどんなふうに世界を見ているんだろう。それが知りたくて、会話が楽しみになりました。私はいろんなことを質問します。何が好きで、何が嫌いか、どうしてそうしようと思ったのか、などなど。純粋な興味からです。
その結果、人々ともっと良い関係を結べるようになりました。人は「自分に興味を持ってくれる人」を歓迎するからです。私にとってこれは思わぬ収穫でした。
今、人の気持ちが分からなくて苦しんでいる方もいるでしょう。周りの人たちと馴染めなくて孤独を感じている方もいるでしょう。
私のアドバイスはこうです。人の気持ちを理解する必要はありません。でも「あの人たちはどんなふうに世界を見ているんだろう」という興味をもつことが大切です。本はきっかけを与えてくれるかもしれません。自分とまったく違う境遇の人が書いた本を、一度読んでみてはいかがでしょうか。
「人は幸せになるために生きている」と聞いて違和感を覚えた。「幸せ」ってよく分からない言葉だ。さも、「幸せ」というものが存在しているかのように感じる。でも、実際はどこにもない。「幸せ」だけじゃない。「教養」も「常識」も「社会」も、実体のない概念に過ぎない。
だからそれらについて一般的に議論するのはあまり意味がない。私にとって「幸せ」とは何か。身近な事として具体化させてはじめて意味がある。
私にとって、幸せは小説を読むことだ。私にとって、教養は自分が使う言葉の意味を理解していることだ。私にとって、常識は人間は狂気と隣り合わせということだ。私にとって、社会は図書館とTwitterだ。
実体のない言葉は、実体のない議論を引き起こす。言葉は注意して使おう。便利な言葉を使ってないか。それは具体的に何を指しているのか。
ある種の本はひんやりした印象を与える。文章を読んでいると、周りの雑音が聞こえなくなる。冷たい水のようなひんやりした感覚を覚える。たとえば、今読んでいる本「ぼくには数字が風景に見える」、バッテリー、シャーロック・ホームズ、老子、ゲド戦記、日の名残り、ドラゴンの眼、博士の愛した数式。
文章は淡々としているのだけれど、愛が感じられる。人間を冷静に見つめている。自然に耳を傾けている。静かさの中に身を置き、目に見えないものを見ようとしている。そんな本が好きだ。
新しいことを知るのは好き。人の話を聞いたり、本を読んだり、映画を見たり。私の目が増えるから。今まで知らなかった方向から世界を見ることができる。一見何の関係もないように見える事柄の間に、共通点を見つけたときの喜びといったら。風が通り抜けたように爽やかだ。
「なんだかよく分からない話」が好きだ。教訓もない、日常を切り取っただけの話。小説のワンシーン、母との会話、小学校の思い出。 心に突き刺さるわけではないが、ふとしたときに思い出してしまう。そんな話。
私は、分かりやすい話に興味がない。分かりやすく示されている時点で、完成しているから。書くことで「なんだかよく分からない思い」に形を与えたい。それが私の書く理由だ。
6月はだるい。眠くてたまらない。きたる夏に向けて体がエネルギーを貯めようとしているのではないか。ああ、早く梅雨が終わってほしい。がんばれ、小笠原気団!
自分の価値を「他者からの評価」に委ねるのは危険です。人の態度なんてプレゼントを一つ贈るだけで変わります。そのような不安定な基準に頼るのは危うい。必要なのは「自分の基準」です。周りからの評価がいかなるものであれ、私は「自分が満足しているかどうか」を大切にしています。
「とにかく書け。変換ミスも気にせず前に前に書き進めろ」というアドバイスが苦手だ。1歩ずつ納得しながら進めていきたい。中途半端を許せないのは、私の強みでもあり弱みでもある。
私のなかに、何人か人が住んでいる。おそらく3人。一人ひとりが別の人格をもっている。
たいていは冷静な人が主導権を握っているし。ユーモアのある人は、対人関係で活躍する。真面目な人は、私が1人でいるときに出てくる。冷静な人が他の人の意見を聞きつつ、意思決定しているようだ。
まだ別の人格があるのかもしれない。観察すれば見えてくるかも。心のなかは複雑だ。
小説は「平凡に見える毎日が実はかけがえのないものだ」と教えてくれる。現実はドラマチックだ。ひょっとするとドラマ以上かもね。
「もしかしてAさんに嫌われているのではないか」と気にする人がいる。私はそんな心配はしない。たとえAさんが私のことを嫌っていたとしても、私に直接伝えないなら、それは私が気にする案件ではないから。
苦情が来たときに対応する。来ないなら気にしない。「もしかしたら」を想像して神経をすり減らしたくないよ。